モータウン : ザ・トゥルース・イズ・ア・ヒット

モータウン。これほど音楽史に大きな足跡を残し、社会にも影響を与えたレコード会社は他にあるだろうか。

1959年、創立者ベリー・ゴーディ・ジュニアが家族からの800ドルの借金を元手にデトロイトでスタジオ兼事務所用の建物を手に入れたとき、彼の 持っていたものは、音楽への情熱しかなかったかもしれない。しかし、正にそれこそが彼の夢を現実にするために一番必要な要素だったのではないかと思わずに はいられない。

今なお人種を超えて愛されるモータウンサウンドが黄金期をむかえ始めた1960年代は、マルコムXやマーティン・ルーサー・キング・Jr 等の活躍により、公民権運動が絶頂の高まりを見せた時代である。

音楽にも人種差別が存在していた時代にそれまで黒人層を対象に作られていたR&Bを、キャッチーなメロディーや徹底したアーティストのイ メージ戦略により白人層までに浸透させたベリー・ゴーディーは、彼の作曲への情熱から始まったデトロイトの小さなレコード会社を音楽史に名を残すほどの レーベルまでに成長させた。

まだ人種差別により黒人音楽が白人音楽と同じように放送される事がなかった時代に、R&Bをここまで白人層にまで浸透させたベリー・ゴー ディーの業績のあまりにも大きく、スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、マイケル・ジャクソン、ジャクソン5、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス、 スモーキーロビンソン&ザ・ミラクルズ、ザ・フォー・トップス、グラディス・ナイト、ライオネル・リッチー&ザ・コモドアーズ、テンプテーションズ、デ バージ、リック・ジェームスといったモータウンから世に送り出されたアーティストの名前を見ても、モータウンが黒人音楽の枠を超えて、音楽界、アメリカ社 会に与えた影響は一目瞭然である。

しかし一方で、ベリー・ゴーディーの白人層もを視野に入れた企業戦略が成功し人種を問わず受け入れられるR&Bが作られるにつれて、それまでのソウルミュージックがある意味でポピュラー音楽化し始めてしまったことも事実である。

また、ジェニファー・ホリデーが歌った名曲 ”And I Am Telling You (I’m Not Going)”で有名なブロードウェイミュージカル『ドリームガールズ』のリメイクとして制作された、ビヨンセ主演の映画『ドリームガールズ』でジェイミー・フォックズ演じるカーティスのモデルとなったベリー・ゴーディーは、そのワンマン社長ぶりでも知られている。

公民権運動が白熱すると同時に60年代から一気に花開いたモータウンだが、80年代に入ると家族同然であった所属アーティストが徐々にレーベル離れ していくなど、様々な危機や挫折を迎える。1970年代から1980年代にかけても商業的に成功したアーティストは在籍していたものの、80年代半ばにな るとレーベルは徐々に経営難に陥り、ベリー・ゴーディーはついにモータウンレコードのオーナーシップを手放さざるを得なくなる。

しかし、こうして他レーベルの傘下に入った以後も、ベリー・ゴーディーと、才能溢れるモータウンの偉大なアーティスト達が作り上げたモータウンサウンドがいつまでも世界中の音楽ファンに愛され、影響を与え続けていることには変わりわない。

ベリー・ゴーディーは、”良い音楽は人種を問わない”ということを、モータウンの成功によって証明したのだ。人種を超えて良いミュージシャンと良い 音楽を作ろうとするモータウンの姿勢は、その素晴らしい音楽を常に支えていた忘れてはならない存在、ファンク・ブラザーズのドキュメンタリー映画、『永遠のモータウン』にも見る事ができる。

ブロードウェイミュージカル『モータウン・ザ ミュージカル』の公演に合わせて、開催されているモータウンの展覧会のプレス用ランチイベントに出席されたベリー・ゴーディーは、終始とても穏やかな表情でミュージカルの舞台にモータウンの歴史が蘇ることにを心から喜んでいるようだった。映画『ドリームガールズ』や、あらゆるところで聞いた話により勝手に作り上げられていた私の彼のワンマン社長の印象は、彼の生き生きとした喜びに満ちたエネルギーに触れるなり、全く崩れさってしまった。

大切なのは音楽に対する燃えるような情熱で、彼の話や幸せそうな表情からは、純粋に心の底から音楽を愛していた彼だからこそ作り上げる事のできたレーベルが、伝説のモータウンであるいうことがよく伝わってきた。

モータウン展覧会『MOTOWN : THE TRUTH IS A HIT 』は、ハーレムのショーンバーグ黒人文化研究センターにて2月1日から7 月26日まで開催されている。