1950年の4月25日にテキサスのマーリンに生まれたバーバラ・アン・ハンプリーは、彼女のフルート演奏をタレントコンテストで観たディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)に後押しされ、音楽のキャリアを切り開く為にニューヨークに移る。
ニューヨークに拠点を移してから直ぐにアポロシアターのアマチュアナイトでブレイクし、その後もデューク・エリントン(Duke Ellington)等のステージで意欲的に演奏を続けていたハンプリーは、ジャズに好意的なレーベルにデモテープを持ち込んで回った。ブルーノートの社長でA&Rであった敏腕プロデューサーのジョージ・バトラー(Dr. George Butler)は、デモを聴いたその日に即ハンプリーに連絡し、レコード契約を結んだ。ハンプリーがニューヨークに移ってから僅か数週間後のことであった。しかもハンプリーは1971年当時、ブルーノートと契約した初の女性アーティストであった。
因みに、バトラーは日本での知名度こそ高くはないが、著名なプロデューサーである。ハンプリー等のアーティストとのブルーノートでの成功により、1977年にはコロンビアレコードに引き抜かれ、JAZZ制作部門副社長に就任し、マイルス・デイビス(Miles Davis)の空白の5年間後のレコーディングに説得させるにあたって重要な役回りを果たしただけでなく、 フュージョン、ソウルジャズの要素の強いグローヴァー・ワシントン・ジュニア (Grover Washington Jr.) , 、 ビリー・コブハム(Billy Cobham)、ボブ・ジェームス(Bob James)などの作品にも携わった。また、ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)と契約を交わし、洗練された演奏技術をもつ若いミュージシャンがハード・バップや伝統的なスタイルで演奏する、いわゆる”Young Lions”と言われた動きの中核となり、マルサリスの弟であるブランフォード(Branford Marsalis)、テレンス・ブランチャード(Terence Blanchard)、ドナルド・ハリソン(Donald Harrison)等のセッションを纏めた人物でもある。 ハンプリーがニューヨークへやって来た当時は、リスナーの急激なジャズ離れが進んでいた。そんな中、メインストリームのオーディエンスを引き戻すべく、ユナイティッド・アーティスト・レコードから同社傘下であったブルーノートに移ったバドラーは、ボビー・ハンプリーをはじめ、アール・クルー(Earl Klugh)、ドナルド・バード(Donald Byrd)などのアルバムでジャズとソウル、ファンク、R&Bの要素を融合させ、70年代のブルーノートの商業的成功に大きく寄与しただけでなく、ホレス・シルヴァー(Horace Silver)等の60年代に最前線で活躍したミュージシャンのアルバムにも携わった。
1973年にマイゼル兄弟(Mizell Brothers)とレコーディングされたハンプリーの3作目のアルバム「Black and Blues」は、ひゅうひゅうと、聴いているだけで凍えてきそうなビルの隙間風の音から始まる。「Chigago, Damn」という1曲目の曲名を見ると、 “Windy City”とのニックネームを持つChicagoの空気と寒さからくるピンとした緊張感が絶妙に表現されており、「なるほど。」と妙に納得してしまう。風の音に徐々に重なるハーヴェイ・メイソン(Harvey Manso)の規則正しく続くドラムビートの次に聴こえてくるのは、深い(太い?分厚い?)ベース・シンセサイザーの音。これから始まるグルービーなサウンドを予感させ、この時点で既に身体がウズウズしてくる。続いて控えめに加わり始めるキーボードのファンキーな音で、この予感は確信に変わる。心地よい音に浸りながらも、じりじりと焦らされているような初め(序盤?)の1分12秒ほどが経過したところで、キーボード奏者のフレディー・ペレン(Freddie Perren)とマイゼル兄弟によるコーラスが始まる。この頃には完全に身体がグルーブに乗り切っており、肝心なハンプリーのフルートがまだ始まっていないことをふと思い出す。2分ほど経過したところで、ハンプリーの高らかで軽やかなフルートが舞うように重なり、軽快ながらも一層深まったグルーブの中で踊る心地よいハンプリーのフルートに耳を傾ける。
2曲目は「Harlem River Drive」。冒頭から始まるコーラスとグルーブが織りなすソウルフルなテキスチャーが、何とも曲名の空気感とマッチしている。そこにハンプリーのフルートによる刻々と変化する軽やかなメロディーが相俟った、うっとりするようなグルーブ感だ。一曲目の「Chigago, Damn」といい、この曲といい、曲名の土地の空気感や感覚がリアルに音に現れており、ある種のバーチャル・リアリティーを音を通して体験しているような感覚に陥る。
「マイゼル兄弟の制作した曲(楽曲?)に、即興で感じるままに演奏を重ねた。」と後のインタビューでハンプリーが語ったこのアルバムで聴けるのは、軽やかでシルキーな彼女のフルートだけではない。3曲目の「Just a Love Child 」とアルバム最終曲の「Baby’s Gone」ではボーカルとしても参加しており、ボーカリストしても高い評価を得た。
アルバムタイトル曲である4曲目「Blacks And Blues」は、前半の「Chigago, Damn」や「Harlem River Drive」ほどのグルーブ感はないが、アルバムを一貫している心地よさには変わりはなく、リラックスした伸びのあるハンプリーの演奏を堪能できる、温かさのある明るい雰囲気のトラックだ。この曲は1974年のUS R&Bチャートで86位まで上り詰め、1992年にはエリックB&ラキム(Eric B. & Rakim) の「 Keep the Beat」 でもサンプリングされている。
続く「Jasper Country Man」は、出だしからファンキーな一曲。ドラムとコンガのイントロから始まる飛び跳ねるようなグルーブに複雑に重なり合うそれぞれのパートの強弱が、より癖になるファンキーな音を生み出している。コーラスのないこのトラックでは、より自由なハンプリーの即興演奏が全体を纏め上げる。
アルバムの最終曲は、ハンプリーが自らボーカルを務めた2つ目のトラック「Baby’s Gone」他のトラックから一変してゆったりとした落ち着きのあるトラックでアルバムを締めくくる。
ハンプリー本人が希望してマイゼル兄弟と組むことで生まれたこのアルバムのグルーブは、デビューアルバム「Flute-In」 よりも幾分ファンク色の強くなった2作目のアルバム「Dig This」からの自然な流れだったのかもしれない。このアルバムの収録曲に限らず、ハンプリーの音楽の多くがヒップホップアーティストにサンプリングされている。ジャズの枠を超えて、当時の多くのメインストリームやR&Bリスナーにも受け入れられ、後世のアーティストにもインスピレーションを与え続け、決して古くならない。 ソウル、ファンク、R&Bなど、様々な要素がジャズと融合している点が多くのリスナーにとって聴きやすくしていることは確かだが、本当に良い音楽は時代を超えて愛されるということを再認識させられる素晴らしいアルバムだ。ついでだが、アルバムのデザインはジャズアーティストの作品の他にフランク・ザッパ(Frank Zappa)のカバーも多く手掛けたことで知られるアートディレクターが担当したそうだ。
このアルバムを聴きながら、晴れた日にアップタウンをドライブしたらどんなに気持ちが良いだろうか。
(参照リンク・文献)
