ヒップホップ史を語る上で欠かせない永遠のクラシックの一つ、ナズの「イルマティック」がリリースされてから20年。この革新的なナズのファーストアルバムのドキュメンタリー、「タイム・イズ・イルマティック」が話題になったのは記憶に新しい。
ニューヨークとロサンゼルスで先行封切りされてから一週間後の10月7日、監督のOne9、プロデューサーのエリック・パーカー、そしてジャズミュージシャンでありナズの父親であるオル・ドラを招いてのスクリーニング、パネルディスカッションがハーレムのショーンバーグ・センターにて行われた。





ナズのファーストアルバムがリリースされてから10年後、当時VIBE誌の編集長だったエリック・パーカーが「イルマティック」10周年を記念する記事を随筆する過程の中で、ページに収まり切らないストーリーをもっと大きなスケールで伝えようと、後に同作品の監督となるOne 9に話を持ちかけたことから、このドキュメンタリーは生まれる。当初2人は十分な資金もないところから始め、大半の期間はお互いにフルタイムの仕事をしながら制作したというから驚きだ。「イルマティック」の制作に関わった殆ど全ての人物にインタビューをし続け、10年の歳月を掛けて完成させた。
2014年のトライベッカ・フィルムフェスティバルで大変な注目を得たこの作品は、単にスタジオにいるナズの姿を映したドキュメンタリーというだけではなく、当時のクーインズ・ブリッジのプロジェクトという危険や困難に常に隣り合わせの環境で育った少年が、ファースト・アルバムをリリースし、当時のヒップホップシーンを完全に、そして永遠に覆すまでの過程を追うと同時に、当時のアメリカ社会の現実、文化、ニューヨークの背景など、それ以上のものをナズの経験を通して映し出しているところが見どころだ。その点がこの映画をドキュメンタリーとしてより価値のあるものにしているのは間違いない。ナズのリリックの背景にあった、多くのブラック・アメリカンの目を通して捉えたアメリカ社会の理不尽さや厳しい環境を、少しでも理解することは、ナズのリリックや音楽、むしろヒップホップそのものを理解するにあったって不可欠であろう。
ナズがデビュー・アルバムをリリースしてから20年経った今でも、メインストリームだけでなく、ストリートからも変わらぬ支持と尊敬を得ている理由は、彼が史上最高のリリシストであるという事実と色褪せぬ「イルマティック」の衝撃と完成度、そして商業的な成功の後もぶれることのないナズの姿勢が、信用に値し、彼らの失望や希望の代弁者として、彼に心底共感できるという点にあるのではなかろうか。その点においては、問題はあるとはいえ、遥かに平和な日本の環境で生まれ育った一般的な日本人が彼らと同じ次元で彼のリリックを理解するのは難しいかもしれない。にも関わらず「イルマティック」を聴くと、まるで同胞に向けた応援歌、あるいはラブレターのように聴こえてくる。
このドキュメンタリーを観たら、ナズのその語彙に富んだインフォマティブで知的なリリックは、辞書を読み込んだ以外にどこから来ているのかという疑問が解けた気がした。頻繁に巡業に出ていたジャズミュージシャンの父親オル・ドラが巡業先で手に入れた世界各地からの本から学んだ知識が織り込まれているのだろう。幼いナズにとって父親の影響は大きかったに違いない。
映画館での一般公開の初日の前日、42丁目のAMCシアターでの前売り券はすでに公開日の数日後まで全ての時間帯の上映が完売していた。ナズの地元、ニューヨークが彼を熱く支持し、この映画の公開をどれだけ心待ちにしていたかが伺える。
この作品は、ヒップホップ・ファンには必見のドキュメンタリーであることは勿論だが、ヒップホップにあまり馴染みのないオーディエンスにも是非観て頂きたいドキュメンタリーである。そしてメインストリームの”ヒップホップ”を聴いて、目的もなくドラッグや女性や物質的なものについてビートに乗って話す暴力的な音楽がヒップホップであると、今でも多くの人々が持っている過った解釈がこのドキュメンタリーによって少しでも払拭されることを期待している。
映画「タイム・イズ・イルマティック」はituneにて購入ダウンロードが可能。
